戦争から生きて帰ってきた人の多くの人は
口をつむぐ
いや、
戦争体験そのものが、
口を閉ざしたくなることなのだ。
きっと。
体験のないワタシも黙るしかない"(-""-)"
人は
あまりにも
苦しい事、
理不尽な事、
残虐な事、
に出会うと黙り込む。
アウトプットするって
エネルギーがいるもの。
毎年
この時期になると
こういう話が多くなる
戦後はまだまだ続いていると
生々しく感じる時期
今を生きる我々は
生命の原点に還って
多くを望まず
生きる意欲を
本来の生命体としてのものに転換出来たら
もっと違った価値観が生まれるだろうに。
生命体としての
シンプルな意欲が
物事を解決に導いてくれるはず
天は
それを待っていると
信じたい
この目で見ることは
叶わないかもしれないが~
そう信じて
粛々と生きる!
人類は
太古の昔から
頭脳を使って工夫をこらし続け、
仲間と協力して
新しい物を生み出し
便利で快適な暮らしを
手に入れてきた❗
♥️素晴らしい♥️
その結果~
空気も水も、
汚れ
身体を使うことも少なくなったのに
美食と飽食❗
機械の力を借りる事が多くなると
人と人のコミュニケーションをとるのも
下手になった
どんどん暮らしにくくなって
心や身体を病むことが多くなり
癒しを求めて
植物やペットやバーチャルが
大切なアイテム❗
どう言うこと⁉️
一体何をしてきたんだろう⁉️
土地を汚し
海を汚し
空中を汚し
絶滅危惧種を増やし
未来を喰う現在(--;)
一所懸命生きてきて
老後をのんびり~
なんて出来ない❗
というか
しちゃいけない❗
と思う
子や孫を見ていると
そう思ってしまう、ワタシ
じゃあ今のワタシに
何が出来るのか⁉️
何をさせていただけるのか⁉️
子孫のために
未来のために
木を植え
経筒を埋め
特攻にさえ行った先人たち
あぁ~
この美しい地球という星の
未来を作るのは
私たち1人1人の
今日の生き方
暑いからなのか
こんな世の中だからなのか
年だからなのか
最近物欲が無くなってきた?減ってきた?
気がする
もともとあんまり物に執着しない性格だと思うのだが
さらに要らなくなってきた(^_-)-☆
これって喜ばしい事?なのかなぁ?
あれ欲しいこれ欲しいで頑張る!
と思うのだが~
頑張らなくなってきた(#^.^#)
いろんなことが
もういいかなぁ?
アンテナの向きが変わりつつある気がする
折れ曲がりながらも一直線に突き進んできた
そんな人生に悔いなし!
そして、ここで、
大きく色を変え景色が変わってゆく~
そんな2022年真っ只中
来年はどんな景色になるのだろう?
セミ時雨が煩いほどに我が家を包んで
夏本番!土用に入りましたねぇ。
いろんなことが表沙汰になってきて
世の中、何が何やら
混沌としすぎている感が否めませんが
そんなこととは関係なく
夏野菜はたわわに実り
セミは騒がしく
汗は滝のように流れ
空は明るくジリジリと照りつけて
子供は元気に育っております
ですよ(^_-)-☆
わからないことを
あれこれ思い煩うより
今日1日を
精一杯
生きることの
嬉しさ楽しさを
謳歌しましょう!
そう思えたら
心がすっと軽くなりました(^_-)-☆
心の重い荷物の断捨離が
イチバン!❤❤❤
覚鑁上人と言えば無言行。
そして発露懴悔文。
最近、
覚鑁さまが
何だか
近い
覚鑁さまに
お会いしたいなぁ~
ホモサピエンスは必要以上に
他の人類の食物まで全部取って絶滅させた
と、この前TVで言ってた。
今地球上の沢山の生き物が
絶滅したり、
絶滅危惧種に指定されたりしているのは
我々ホモサピエンスが増えすぎてしまったのも
大きな原因の1つじゃあないあかなぁ
と思う。
生命の原理から言えば
増えすぎたら減るしかない。
自然災害も増えたし
交通事故やその他事件事故も増えた。
戦争も起きているし
何より病気と自殺が多い。
これから~
結婚しない人
子供が要らない人
子供が出来ない人が増え~
ますます人口減に拍車がかかるだろう。
人間が他に脅かされて絶滅していくとすれば~
それは何だろう?
それは~
目に見えない菌じゃあなかろうか?
消毒してもマスクしてもワクチン打っても
感染する人が多い中
酵素風呂に入り続けてる人は
なぜか、かからない。
土をいじって
農薬や消毒をしない、使わない人も元気だ。
木造の古い家には
沢山の菌が住みついている~
これからはきっと
菌ちゃんと仲良くできる人たちが
生き残るに違いない❤❤❤
我が家の庭に集まってくる沢山の生き物たちが
酵素風呂に入りに来られる多くのファンたちが
気付かせてくれた
大切なこと。
親鸞上人が書かれた教行信証
実は読んでない
ただ
教えに感動してそこから入っても
行に縁あってそこから入っても
信じてから入っても
証を得てすごいね~とそこから入っても
ぐるぐるぐるぐる廻る❗
螺旋を描くように
廻り続けて~
まるで
山道をぐるぐる廻りながら
山頂に近づいて行くように
たまに脇道に逸れても
山頂を目指す限り
そう遠くは外れてはいかない
そう、このお題からは感じてる
人は誰も
信じられないようなことを
言ったり行ったりする
それは
深層心理に刻まれた
心の傷のなせる業
心の傷は
どうやったら癒せるのか
泥中に在りながら
水面上に美しい花を咲かせる蓮
苦しさや悲しさや痛みは
仏になるための栄養素
祈りの中にこそ
その力があると看破した
先人たちの後を追って
螺旋を描き続けながら
生きてゆきたいと切に思う今日
久しぶりに明け方の写経
母も書いてたなぁ
姑も書いてたなぁ
どんな気持ちで書いていたのだろう
その写経を
あちこちの霊場巡礼先達中に
納めて廻ったなぁ
そんなことが
思いがけず胸をよぎる
こだわらない
こだわらない
一休さんの姿を思い出して
つい笑ってしまった
(テレビマンガのポクポク場面)
仏に囲まれて
安心(あんじん)の終活も
悪くないかも
って~
うふふ~
甘かぁないよねー
昔一人の修験者に出会った。
その修験者は
その胸の内に大きな深い傷を負っており
真っ赤な血を流れるに任せながら
その傷口を平気で曝していた。
若かった私は
どうしてそんな風に生きられるのか?と
口に出して問い~
じっと
私を見つめた修験者曰く~
「人は誰も見えないんですよ。あなたには見えても。」
最近利き目が急に悪くなって見えにくい。
どうやら
少しだけ片目をつぶって生きたほうが良いと
言われてるような~
それはうがちすぎだろうか?(^_-)-☆
(護摩の火を見つめ過ぎただけなのかも~)
人に知られたくないことは誰にもある
自分で記憶にもないような傷も~
そこを指摘されたら嫌だろうなぁ
でも~
ここ一番!という時は
邪念を捨てて向き合わなければならないのだ。
お不動様は
邪気を踏みつけ、両刃の剣と縄を持ち、
そんなあなたと共に在る
あなたを
頭上の蓮華に乗せて、仏と成す為に。
まだまだ若かった頃
にっちもさっちもいかなくて
逃げ出したい❗
いっそのこと死んでしまおうか⁉️
いやいや
それはいかん❗それは出来ん❗
どうしたらいいんだろう⁉️
そんなドツボにハマっていた時
師匠が言った一言
ワシがみ~んな引き受けてやるから
ぜーんぶ荷物を下ろせ
そして、本山に来い❗
哀しみと苦しみと痛み
感謝と安らぎの中で
修行三昧の日々が続き~
本山を出る時
今残っている荷物がお前の荷物
それを大事に抱えて
生きろ
必ず仏がお前にしか出来ん勤めを与えるからそのときは黙ってさせてもらえよ
仏の流れには黙って乗っとけ❗
忘れられない教え
仏に守られ導かれての今
そして、これから♥️
(ちなみに下ろした荷物、師匠はほったらかしだったそうでも言わなきゃ
荷物下ろせなかったもんね~)
高野山の早朝
湧水を汲み心静かに墨をする
真っ白な和紙に黒々と経文が
1字また1字と仏を写し出していく。
そんな毎日を積み重ねての書道教室
坂口先生の指導は
まずは模倣から。
ひたすら手本を写すが~
中々
似ても似つかぬものが出来上がっていく
字は体を表す
字を見ればその人がわかる
何回も聞かされた
子供の頃はわからなかったなぁ⁉️
今は少しはわかる気がする
仏さま~
塔婆はちゃんと
書けておりますでしょうか~
子供の頃日舞を教えてもらっていたハナ先生
引揚者住宅の一角に三味線の音色が響いて
護国神社からの風が通る場所
護国神社に手を合わせても
お稽古に行かないなら
絶対に通ることのないような路地裏
ハナ先生は
いつもニコニコ笑顔で
想いを込めて舞うんだと
身体の使い方1つで
美しくも醜くもなると教えてくれた。
醍醐寺で加行中によく思い出して~
仏様の前で美しくありたい、とか
醍醐寺の中に佇んでいる自分が
一幅の絵の様でありたい、とか
いくら加行が辛くても
時間に追われて忙しくても
品格を失わないようにとか
そう思って頑張ってたなぁ(#^.^#)
舞妓さんになりたいと子供心に思うほど
大大大好きだった日舞
ハナ先生が亡くなられて
他のどの先生でもダメで
結局日舞もやめてしまったけれど
身に着けた教えは未だに無くならない
すんごく仲良かったお友達が紹介してくれた
お茶の先生
お茶会の朝のあっしーくん
お迎えに行ったら
まだお着換え中だった
姿見の前で
くるくると絹の布を身体に巻き付ける~
そんなお着換えを
目を丸くして
着物ってこんな風に身に纏うんだ!
それまで
着物は自分で着れるけど
帯び結びが難しかった私が
簡単に出来るようになった瞬間だった。
「まぁ!見てるだけで結べるようになったの?」
と後日笑顔で嬉しそうだったっけ(^_-)-☆
お茶の心はおもてなしの心
特別な事ではなく
常に周りを見て
気配りしながら毎日を過ごせたら
お茶は生きてるのよ
お茶点てなくてもね
お運びに始まってお運びに終わる(^_-)-☆
お茶を習うは生き方を習うだったんだと
気付かされたっけ
仏さまに捧げる1杯のお茶には
久代先生の厳しく温かい教えの慈愛の味がする~
だろうか?
美味しく点てれていますか?
若いころお花を習っていた師匠
お徳ばあちゃん(^_-)-☆
私が生まれる前からの家族ぐるみのお付き合いだった
お洒落で綺麗好きで竹を割ったような気性で
とても研究熱心だった
いつも一所懸命だった
お花はただ美しければいいちゃないと。
自然をよく見て
植物がどう生きとうか、どう輝いとうか、
その美しさと輝きをどう切り取るか
いのちにこそ価値がある
お金は洗わんやろうが
多くの人の手垢がついとって、
そこに苦しみや哀しみや欲望がのっとって
だからため込まんとたい!
あ~今日もさっぱりスッキリ
振舞えて、よかった~
ほんに
よか気色たい!
と、よくお接待してくれていた
今でも思い出す
なつかしいひと。
私の中で生きているいのち。
私の一部分を担って、
私を作っている、縁
ご縁の中で
生かされて在る いのち。