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家族

姑が亡くなりました。
享年102歳。大往生でした。

両親が朝鮮に出稼ぎ中に生まれて
山陰に戻ってきてから入籍
そこから今度は大阪に出て育ち
陸上部に在籍していたという女学校を優秀な成績で卒業し
洋裁も習い、宝塚歌劇も楽しむ職業婦人となり

戦争で山陰の田舎に戻って警察官の妻となり
男子3人の母となりました。
50代で未亡人となり80歳まで一人暮らし。
息子を頼って福岡に来て21年
最後は末っ子の3男坊の家で静かに息を引き取りました。

1番楽しかったのは女学校から職業婦人の時代だったようで
コーヒーにサンドイッチが大好きだったのは
たこ焼きが好きだったのと合わせると
どうやら懐かしの大阪時代だったようです。
そして
何よりのお御馳走はバッテラで
安かったサバをしめ鯖にして男の子3人を育てたのだと思います。

親に頼らずにやりくり上手に何事も手仕事。
夫を立てて逆らわず
いつも静かに多くを語らず
じっと我慢の姑を見ていると
何が楽しいのだろう?と変わった人にしか思えなかった私。

毎年、年2回、夏と冬に田舎に帰っても口の重い姑とはあまりおしゃべりも出来ず
福岡に来られてからの老人施設での21年間
本当によく通いました。
やっぱり無口で手先が器用なのは主人がそっくり!

最後の1週間を我が家で濃密に過ごすことができたのは
コロナで面会が出来なかったから帰ってこれたのだと
コロナさまさまです

別れの言葉はもう言葉にならなかったけれど
心で受け止めることが出来たと、
お互いにしっかりと良い別れを交わすことが出来たと
思っています。

通夜の夜中、お経三昧のはずが
1人台所に立って好物の品をあれこれ作りながら
嫁とはこうあるべき、と無言の教えを受け止める自分に
無口の姑が何も言わずに教えてくれた生き様を改めて想っていました。

出棺の早朝、雑草が生い茂った庭の小道を主人が草刈りをしていました。
最後の花道をきれいにしておく。棺を担ぐ人も歩きやすいだろう。と。

いつの間にか似たもの夫婦になれたのかも(^_-)-☆
それもこれも修行の賜物です。

一緒に住まなくても
沢山のおしゃべりをしなくても
長い年月、いつも気にかけて積み重ねた月日が
家族にしてくれたのだと思います。

仲良くすることが、問題を起こさないことが、大事なのではなく
泣いたり笑ったり時には怒ったりしたことが
家族になれることなのではないかと
ありのままの姿を見せれる関係

コロナ難の今だからこそ
幸せとは何か
豊かな暮らしとは何かを問いながら
精進したいと思う、暑い夏です



| 16:36 | 未分類
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